やっぱりこの人は欠かすことができません

指輪という存在についての話をするのであれば、この方を抜きにして話を進めることはできません。イギリスの文献者としてもそうですが世界的に大ヒットを記録した寓話でもある『指輪物語』を製作した『J・R・R・トールキン』さんは、もはや指輪というネタに関しては困ることはないほど世界的に有名すぎる偉人、と評して問題ないでしょう。但し筆者はよくよく考えてみると。トールキン氏の事は名前と作品名は知っていますが、実際のところどういう人間だったんだろうという情報に関してはあまり知らないという事実を思い出しました。あまりにも有名すぎる作品でもありますから、しょうがない捉えてしまいがちですが、折角ですからトールキン氏のことも今回は詳しく調べてみることにしました。

まずは家系についてですが、トールキン氏の父方の先祖はなんと元来職人家系の人間となっており、故郷に関しては現在のドイツにおけるザクセン州に当たります。イギリスに渡ったのは18世紀のことで『迅速且つ熱心に、イギリス的に』という風に周りの環境に合わせるという、一瞬見ると本当に職人なのかなぁと疑問に思いたくもなります。次に母方の先祖に関してですが、こちらにはジョン・サティフィールドならびにエディス・ジェーン・フィールドの夫妻が存在しており、バーミンガムに住んでいて、市の中心に店を持っており、1812年以来にはビル餅で商売を行なっていたという金持ち家系だったのです。その後ウィリアム・サフィールドが書店と文房具店屋を経営しており、曽祖父も前述の祖先と同じなのジョン・サフィールドという名前で、1826年から服地と靴下を商っているという、一族全体で商家の娘がトールキン氏の母親となっています。当時からすれば非常に裕福な家庭のように見えますが、実際にはどうだったのでしょうか。ではここから順々に歴史を遡っていくことにしましょう。

幼年期のトールキン氏

トールキン氏は今は無きオレンジ自由国という名の国でイギリスの銀行支店長『アーサー・ローウェル・トールキン』と妻の『メイベル・トールキン』との間に生まれた少年でした、この時点で色々と勝ち組だったりします。そんなトールキン氏はアフリカに住んでいたときに、庭でタランチュラに噛まれるという事件に遭遇します、指輪物語にそんな話がありますがこういうところに作者の実体験を持ちこんでいます、一つ間違えば恐ろしいことになりかねますが、奇跡的に毒が回らなかったことが不幸中の幸いと見ていいかもしれませんね。

そのまま家族に囲まれて順風満帆な生活となるはずでしたが、旅行先のイングランドで父が脳溢血で倒れてしまい、アフリカでリューマチ熱によって亡くなってしまいます。家族の収入源がなくなってしまったことで母は実家を頼るためにバーミンガムへとトールキン氏ら子供たちと共に渡ることになります。それから現在ではホールグリーンという地域に移住することになりますが、ここでもトールキン氏は水車小屋などの探索をして遊んでいた中で、こうした経験も後に語られる作品へと継承されていくことになります。

母は非常に教育熱心だったこともあってトールキン氏たちに勉強をしていましたが、中でもトールキン氏は非常に熱心な生徒であることが有名であり、その中でも植物学に関しては特に才覚を見せていたのか、植物を観察することに秀でるようになります。しかしトールキン氏の最も得意としている科目には言語関係が一番だとしており、母はそんな経緯からラテン語を教えるようになりますが、なんと4歳にはラテン語を読めるようになるまで理解できるようになり、すらすらと書けるようになって行ったのです。その後バーミンガムのキング・エドワード考に入学を果たすと、バッキンガム宮殿の門に掲示されたジョージ5世の戴冠式のパレードの『道順を決める』のに協力するようになるというのです。その後イギリスの名門大学であるオックスフォード大学へと進学することになります。

1900年には母の強い反対を押し切ってローマ・カトリックへと改宗したことで財政援助が全て打ち切りとなってしまい、母もその4年後に糖尿病で帰らぬ人となってしまいました。この出来事を経てカトリックへの信仰に深い影響をもたらされるようになり、信仰も非常に深かったことが語られています。

青年時代においては

家族を失ってしまったことで一時期は孤児となってしまったトールキン氏はバーミンガムオラトリオ会の『フランシス・シャヴィエル・モーガン司祭』に育てられることになります。それから時間の経った1911年のバーミンガムにおいて学校に在学中に、友人たちと『秘密結社』を作ることになります。ここでは禁止されていることを影で行ないながらも充実した学生生活を送るようになり、卒業した後もメンバーたちとは連絡を頻繁に取り合うほど親密な友人関係を形成することになります。この出会いをきっかけにしてトールキン氏はまずは詩を書いてみたいという創作家として道を志すようになります。

その後16歳の時に知り合った年上の女性エディス・メアリ・ブラッドと結婚をすることになりますが、この21歳というのは司祭との約束を忠実に守ったための時間となっています。結婚もしたトールキン氏はその後英語の学位を優秀な成績を収めて卒業した後は、混迷の時代として語るに及ぶ世界大戦においてイギリス陸軍に従軍することになり、少尉として任官されることになります。それから病気を患うまで全うに軍務を果たすことになり、その後療養のためにイギリスへと帰還することになります。その療養期間中に『ゴンドリアンの陥落』に始まる『失われた物語の書』と呼ばれるようになる物語の着想が思いつくことになります。その後1917年から1年間の間に病気が再発してしまいますが、本国任務をあちこちの基地で行えるように回復して中尉へと昇進し、軍人として活動を続けていました。

キャリア、そして晩年において

第一次大戦の間、全うに従軍していたことで軍属を解かれる事になり、その後に行なうことになる仕事としてはオックスフォード英語辞典の編纂作業を行なうようになります。それから大学講師をおこなうようになり、教授へと就任することになりますが、その後オックスフォードにてアングロ・サクソン語教授として就任することになります。

オックスフォードに戻る前にいたベンブローク寮にて世界的なファンタジー小説として、その名を知らしめることになる指輪物語の『旅の仲間』と『二つの塔』を記すことになります。また文学研究者としてもベーオウルフに関する論文に関しても古英語文学研究において時代を画するほどの大きな影響力を与えるとまで、評価される内容を記すことになります。

その後1945年にはオックスフォードのマートン学寮に籍を置くとともにマートン記念英語英文教授となって、1959年に引退するまでその職位につくことになります。その後この地にて最初に記し始めた続編となる指輪物語をオックスフォードに戻ってきたから3年後、最初の構想からは約10年という時間を掛けて作られた最高傑作として世に放たれることになります。

その後トールキン氏は絵ディス夫人との間に4人の子供をもうけることとなり、また『W・H・オーデン』とは長い間友人として過ごすなど、終始和やかなままでその生涯に幕を下ろすことになります。その後夫婦の墓には指輪物語の中において最も有名な恋物語としても語られている中から『ベレン』と『ルーシエン』の名が刻まれているそうです。この名前は指輪物語における『シルマリルの物語』の中における登場人物の名前で、人間とエルフの少女が禁断とされている恋に落ちてしまいますが、その後物語の展開でベレンが死亡してしまうと、ルーシエンは自らも人としてベレンと共に生きて死ぬことを選んで現世へと転生することになります。こうした経緯のためルーシエンは死ぬことのないエルフとしては『ただ一人死んだエルフ』として語り継がれています。ちなみに、この二人の家系において、後に指輪物語において絶大な人気を誇っている『アラゴルン』も、この二人の末裔として登場することになるという話も組まれています。しかしこれはトールキン氏とエディス夫人がそれだけ互いに愛し合っていたということを意味していることにも繋がっていると、そういうこともかねているのかもしれませんね。

指輪物語を作り出したJ・R・R・トールキンという作家もまた人とは少し変わった人生と才能を持っていたことが明らかとなっていますが、彼の残した作品は後に世界で多くのファンタジーファンを生み出すことにもなります。それは指輪というテーマを持った物語となっていますが、やはりトールキン氏を語るにはこの物語となっています。