この方も非常に有名ですね

指輪というものは結婚式やアクセサリーとして用いられていることが一般的のように感じている人もいますが、古くは宗教的観念から利用されていたという歴史もあります。そういう意味から指輪というものは先ほどの指輪物語においても呪術の一つとして魔法の力が込められた不思議な指輪として描かれています。そういう意味では指輪というモノは宗教的な意味合いなどが付きまとってしまうことも用意に考えられています。

オカルトの世界において指輪というものは先ほど話した指輪物語はフィクションの世界においては非常に有名すぎる作品として語られていますが、史実において実際に存在した古代期の王で現在までに多くの作品で取扱われていることでも有名な『ソロモン王』という存在も、やはり指輪という単語を話すとしたらある意味語らなければいけない人ではないでしょうか。

古代期において宗教配置国家を絶対的に統べるものとして扱われていました、そしてその宗派の中で絶対的な存在として崇められていた存在の一つとして君主という存在もありました。その中でもやはり絶対的な存在として崇められていた人という意味では、このソロモン王はいまだに信仰している人と世界という単位で考えるのであればかなりの人数が存在していると考えた方が早いかもしれません。ではまずはそんなソロモン王について、改めに考察を加えていくことにしましょう。

ソロモン王の生涯

古代イスラエルの王として存在していたイスラエルの王ダビデは家臣ウリヤの妻であるバト・シェバと不義の関係を結んだことで、夫ウリヤを死に追いやることになります。この二人の最初の子が神の怒りに触れて死んだ後に、二人目の子として生まれたのがソロモン本人であり、父の死別後は兄のアドニヤなど他の王位継承を狙う者達を打倒して王となりました。

ソロモンはエジプトのファラオの娘を娶り、ギブオンで盛大な捧げものを行うなど華やかな生活を過ごすことになります。そこで髪がソロモンの夢枕に立って『何でも願うものを与えよう』というと、ソロモンは知恵を求めるようになります。これに対して神は喜びを覚えるようになり、多くの者を与えることを約束してくれました。ここからソロモン八獲物のシンボルとなったことで、ソロモンが子供のことで争う二人の女の一軒で賢明な判断を示した逸話が広く世界に知れ渡っています。コレは後に江戸時代の大岡裁きの話にもソロモンについて取り込まれるなど、日本も確かにその影響を受けていることが理解できると思います。

こうしたことから、永きに渡ってユダヤ教の伝書ではソロモンは知恵文学の著者とされていましたが、歴史的な裏づけは無く、考古学的には疑問視する意見も今では多く見られています。一説には紙から知恵を授かった、またユダヤ教の秘儀カバラが記されている『ラジエルの書』を託されたとも言われており、多くの天子と悪魔を従えることに成功したとも語られています。

ソロモンは外国との交易を広げて国の経済を発展させたことで、統治システムとしての官僚制度を確立して国内制度の整備を行なうことになります。また、外国との貿易のための隊商路を整備するため要塞化された補給基地を建て、大規模な土木工事を持って国内各地の都市も強化して行くことになります。更に軍事面並びに外交面では、近隣王国と条約を交わしたことで、政略結婚を重ねて自国を強国へと育て上げることにも成功してきます。このことからソロモンが王としても非常に有能な人間であったことが伺えるところだろうといえます。この時にソロモンは初めてエルサレム神殿を築くことにもなるので、こうした経緯から神格化される面が強くなって行くのかもしれませんね。

こうしてソロモンの知恵の深さと浩瀚な知識については周辺諸国にも知られるようになり、親交を求めて来朝する王や使者が連日後を絶たなかったほどとも語られています。ソロモンの長い年月における統治によってイスラエルは名実ともに経済的繁栄と国際的名誉を手に入れることになりますが、ソロモン本人の野心がこの後国そのものの命運を左右することになります。国民に重税と賊役を課す中で、ソロモンが自らの人種の一族でもあったユダ族を優遇するなど、その当時における君主政治支持者と部族分離主義者との対立を広めていくことになりきっかけを作り出すことになります。

晩年には民衆への負担が激増して行く中で享楽に耽っていたため財政悪化を招き、さらにユダヤ教以外の宗派を黙認したことから、信徒と多宗教信者との宗教対立を生み出すことにも繋がっていくなど、自体は混迷化していきます。その後ソロモン本人がこの世を去ると、彼の息子が王位を継ぐことになりますが争いは収まる気配を見せることなくその後に続く国家分立を誘発する事態にまで展開して行く事になります。

宗教的観点から考えれば確かにその存在は偉大な王であると認識することが出来るかもしれませんが、こうして政治体制などを見ると祀り上げられるだけの王としての器量があることは認めますが、最終的には暴君として君臨してしまったことも、やはり人間ならではの欲望に打ち勝つことができなかったということなのかもしれません。彼が神と対話したという不確かな事実はさておくとしても王としての責務をキチンと果たさぬまま、争いを沈下することも無くこの世を去ってしまった事はソロモン王としては恥じるべき人生だった、と述べるより正しいものはないかもしれません。

他宗教におけるソロモン王とは

ユダヤ教においては神のように崇められている存在として信仰している人間からすれば偉大な存在のように捉えれているソロモン王ですが、他の宗教上においてはどのように表現されているのでしょう。

エチオピア正教におけるソロモンとは
エチオピア正教においては、エチオピアの女王であるシバの女王もソロモンの知恵と王都エルサレムの繁栄を見て驚いたと伝えられており、エチオピア帝国が13世紀に編纂した歴史書によれば、ソロモンとシバの女王の息子がエチオピアを建国したと伝えられています。
ユスティニアヌス帝のことば
537年12月、東ローマ帝国の皇帝ユスティニアヌス1世は苦難の末に改修したコンスタンティノーブルの聖ソフィア教会の竣工式においては、祭壇に立って手を差し伸べることで、『我にかかる事業を給う神に栄光あれ。ソロモンよ、我は汝に勝てり』と叫んだと語られています。
諸教父の評価について
聖書に描かれることもあるソロモンですが、死後においては救われたのだろうかということも聖職者には疑問に感じる点のようです。カトリックや多くのキリスト教会において、特定の人間について確実に地獄に落ちたと断言する事はありませんが、このような放縦な生活を送り、為政者としての姿勢も信仰もそぞろだったソロモンという存在については、手厳しい評価を下す教父も多いそうです。神様でも審判を下すのは中々難しいのかもしれません。
イスラム社会におけるソロモン王とは
ソロモンはイスラム教においても預言者の一人として考えられており、現代においても『スライマーン』と呼ばれており、また現代ペルシア語においては『ソレイマーン』、トルコ語でも『スレイマン』とされていますが、現在においては一般的な男子の名前として用いられています。ムスリムにあっては、預言者スライマーンとは、知恵に満ちていたと同時に、アラブの民間伝承である精霊を自由自在に操ったとも言われています。